わかりやすい近代西洋史:宗教改革とは何か?
宗教改革の背景
宗教改革が広まった原因には中世ヨーロッパの経済成長が止まり、疫病や飢饉に襲われたこと。それによって既存のカトリック宗教ではなく新しい救いを提供できる宗教が求められたことが背景にあります
そのような新しいキリスト教の宗派の一つとして人文主義者のグループであるエラスムス派と呼ばれるグループが現れました。
彼らは直接的にキリスト協会と争うことはありませんでしたがカトリックの教義体系を厳密に検証し後の宗教論争の基盤となる議論を引き起こしました。
またこのようなカトリック教会の絶対的な権力に疑問を持つ人文主義の思想が一般の人々の間に広がることになりました
ルター派の誕生と宗教改革
そのような下地をもとにして1517年にルターが95ヶ条の論題を発表しました
ルターは勤勉なキリスト教徒であり、この当時カトリック教会が発行していた免罪符に対して、キリスト教の教義を冒涜していると強く批判しました。
この時期にヨーロッパに普及された活字印刷術の効果もあり、この九十五箇条の論題はドイツ人に広がることになりました
この結果としてドイツ国内でプロテスタントを自称する諸侯が現れカトリック教会の守護者である神聖ローマ皇帝と することになりました
このプロテスタントとカトリック諸侯の争いは実際の戦争に進む直前まで進展しました。
これを恐れた神聖ローマ皇帝は1555年にアウグスブルクの和議においてプロテスタントを神聖ローマ帝国諸侯が信仰することを認めました。
このようにルターによる宗教改革はカトリック教会の支配に大きな打撃を与えることになりましたが、ルター派そのものはあくまでもドイツ国内または一部の北欧諸国に及ぶのみでした。
カルヴァン派の誕生
こうしたルター派とは別にカルヴァン派と言われるプロテスタントの集団も現れました
このカルヴァン派の思想は非常に独特であり、選ばれた選民のみが救われるといったものでした(選民思想)。この選民というのは自身の仕事に励むことで近づけるとされ、ヨーロッパの職人階級から広く支持を受けました。
こうしてカルヴァン派は西欧諸国に広がることになりました。
特にフランスではユグノーと呼ばれる一大派閥になり、イギリスではイギリス革命の主導力となるピューリタンとなり、それぞれの国内問題に大きな影響を与えることになります。
まとめ
宗教改革はカトリック教会の腐敗した体制が人々の救済への欲求を満たせなくなったことで発生した。
エラスムスは議論の基盤となるカトリック教義の見直しを行った。
ルターはカトリック体制に対し正面から抵抗しプロテスタントと呼ばれる人々を生むことになった。
選民思想を主とするカルヴァン派は諸国の民衆から支持され各地で大きな政治的影響力を持つことになった。