わかりやすい近代西洋史:対抗宗教改革とは何か?
このページでわかること
・対抗宗教改革とは何か
体制レベルでの改革
対抗宗教改革というのは、宗教改革によってプロテスタントが広まったことに対して、カトリック側が自身の教義の見直しや内部改革を行ったものを指します 。
対抗宗教改革について考える上で最も重要なものがトリエントの公会議って言う会議なんですが、会議って言っても1日や2日で終わったわけではなくて、1545年から63年の間で3回開かれてそれでやっと決まったってことなんですね。(20年もやってたら何を話してたか忘れそうな気もしますけど)
この時に主導権を握ったのがスペインやイタリアの司教なんですけど、宗教改革のことを思い返してみれば、この地域ってプロテスタントがほとんど広まらなかった地域なんですね。
例えばドイツであればルター派がいたわけですし、フランスはユグノーというそれなりに大きなプロテスタントの派閥があったわけですけど、スペインやイタリアっていうのはそう言った勢力が育っていなかったということなんです。
そういうところ出身の司教からしてみればプロテスタントの事情とか配慮する必要がないわけで、そんなわけでこの会議で決まった方針というのは非常に厳格でプロテスタント側とは相容れないものでした。
またこの時に初めて ローマ教皇にカトリックの正当性があるということが取り決められました。
ちなみに宗教改革の原因になった免罪符はこの時に販売終了してます。やっぱり、評判が悪かったんでしょうかね。
結局、カトリックの今後の信仰の形というのがこのトリエントの公会議で決められて、この取り決めが、この後19世紀に至るまでカトリック世界における重要な規範として位置づけられていくわけです。
信徒レベルでの改革
これまで体制レベルでの対抗宗教改革を見てきました。
次は一般の信徒レベルでの対抗宗教改革についても簡単に考えてみたいんですけれども、ここで重要なのはイエスズ会という組織です。
日本ではザビエルで有名ですけれども、結成したのはスペイン人であるイグナティウス・デ・ロヨラという人物でした。
このイエスズ会は形成されたのは1534年で、1540年に教皇から認可されてロヨラをリーダーとして信仰を広めていきました。
このイエスズ会がなぜ重要かと言うと、世界中のあらゆる場所へイエスズ会のメンバーを送ることで全世界にカトリックの信仰を広める上で非常に重要な役割を果たしたということです 。
そうやって全世界に信仰を広めていく中ではるばる日本にまでメンバーの一人であるザビエルが来たというわけです。
まとめ
今回は対抗宗教改革についてみていきました
今回のポイントとしては、
大規模な改革としてはトリエントの公会議によって現在までに至るカトリック世界の基本的な価値観が決定されたこと
一般の信徒レベルとしては1530年に結成されたイエスズ会が全世界に信仰を広める上で重要な役割を果たしたということ
以上の2点です。